すずめの今昔
加賀百万石の前田家の所蔵品を保存・管理している成巽閣(せいそんかく)で江戸時代末期・元禄年間に『婦くらすずめ』と言う凧が揚がっていたと書かれた古い文献に出会い それを基に再現しました。

(成巽閣 http://www.seisonkaku.com/)
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第29回世界の凧の祭典

昨日はしっとりと雨が降ったので砂を巻き上げるほどでもなく 風は多分8メーターくらいはあったと思うのですが強風用の凧を作っている私達にはとっても楽しい凧揚げ日和でした。

 

今年も以前から比べると県外からの参加者が少なく空が広く使えて長い尻尾・うなりが付いている婦くら雀でも余裕で揚げられるくらいでした。

     

     

 

私達は最初に婦くら雀の布団凧を揚げました。

     

持参した土嚢袋に砂を詰めアンカーにしましたがあっという間に土嚢袋ごと風で持って行かれ 急いで予備の土嚢袋に砂を詰め穴を掘って二つを埋めてアンカーにしたらやっと安定しました。

 

次に直径90センチの婦くら雀。

     

ラインに傘を通しビラまきをしました。

高齢のアマチュアカメラマンが数人でビラまきを撮りたいと言ってチャレンジしていましたが なかなかシャッターのタイミングが合わないとかで

 

 私     「撮れましたか?」

 

 カメラマン 「分からない・・・」

 

 私     「じゃ もう一度」

 

 カメラマン 「多分撮れてないわ」

 

 私   (立派なカメラなのに連写できないのかな?とは言えませんでしたが)

 

 親切な夫は 「撮れるまでまいてあげるよ」

 

10回以上お付き合いしてビラをまきました。
 

 

婦くら雀のコラボ。

     

陽射しもそんなに強くもないのだけど風が強くて少し疲れたので早めの昼食を摂りにテントへ行きましたがシートは砂でザラザラ。

 

フリカケを掛けたようにご飯の上に砂がくっついて口の中でジャリジャリと音がするので殆ど廃棄しました。

 

お腹が空いていても風さえあればご機嫌で一休みして金沢で明治の初め頃に揚がっていた扇子凧を揚げました。

     

今年は白山の開山1300年なのでこんな凧も作りました。

     

以前と比べると県外からの参加者も少なく揚がっている凧が少ないのでその分 空を思いっきり使えるので得をした気分にもなりましたがやっぱり空に凧が少ないと言うのは寂しいものでした。

 

 

例年と違っていたのは のと里山海道を閉鎖しての凧揚げは10時からだと思っていたのですが 今年は9時から閉鎖したので開会式前だったのですが凧を揚げても良いと放送があり テントの中で10時の凧揚げ開始を待っていた人はこんな粋な計らいにビックリしていました。

 

それと駐車場がこれまで止める場所が厳しく制限されていたのですが今年はすごく緩和され 駐車許可の紙があれば殆どフリーパス状態でこれにもびっくりしている人が何人もいました。

 

私はこれまでどれだけの人から大会の運営のことで聞きたくない不満話を聞いてきたか数えきれない・・・・

 

ただそれらを聞くだけでどこへも言う事が出来ない私も不満が一杯でした。

 

でも開催者側の理解でこれまでよりも緩和された点もあり 気持ちよく参加できるようになったと私は思っています。

 

閉会式の時に町長は

「来年は30周年なので今まで以上に大きく盛り上がる大会にしたい」と言うような趣旨のことを言っていましたのでこれまで参加されていた人で「内灘はちょっとなぁ・・・・」と言って参加されなくなった方は是非来年参加して下さいますようにお待ちしています。

 

 


 

 

 

 

 

| 内灘 | comments(0) | - | すずめ |
世界の凧の祭典 前夜祭
今年は北海道の猿払村の凧友が参加するとのことで私たちも前夜祭に参加しました。
        
朝の7時に車で猿払村を出発し7時間かけて千歳空港へ行き そこから富山空港まで飛行機 そしてそこからレンタカーで内灘町へ。

乗り換え時間を含め11時間の長旅にも90歳の前会長の疲れも感じさせないオーラに感服しました。

常々”趣味を持っている人は年齢を感じさせない人が多い”とは聞いているけど少し耳が遠いだけで同行の40代・60代の人にも負けないくらい元気で参加者に猿払村をアピール。
        
開会式は内灘町町長の歓迎のあいさつに始まり
        
次に茂出木会長
        
なぜか今年は県選出の衆参両議院議員も登壇し挨拶し 鏡割りにも・・・・
        
やっと挨拶を聞いて 夏には参議院選挙があるんだった・・・と思った私。

前夜祭は県外からの参加者が70数名と今年も少なく 一時の溢れんばかりの前夜祭を知っている私には何ともさみしい気持ちは否めないが会場内を見回すと町内の凧の会の参加者が相変わらず多く複雑。

料理も飲み物も十分だった
        
・・・・がアルコールを飲まない人はお腹を満たすような食べ物が不足しているという声が聞こえたので
”どんな物があったら良かったですか?”と聞いたら”オニギリとかサンドイッチみたいなものがあったら・・・・”と。

”握りずし”もあったけどあっという間に無くなっちゃったもんね。

今年は28回大会で再来年は30回大会なので盛大な大会にしたいと町長はあいさつで言っていたが主催者に参加者のこんな要望が届くと良いのだけど・・・・




        
| 内灘 | comments(2) | - | すずめ |
知らなかったわ〜〜
取材されていたんですねぇ・・・・

沢山のカメラマンの中にいらしたのは知りませんでした。

   http://ihoku.jp/ishikawa/uchinada/13603.html
 
| 内灘 | comments(2) | - | すずめ |
世界の凧の祭典 

気持ち良く晴れてとっても温かい良い日でした。

 

良い日過ぎて風がもう少しあったらなぁと思いましたが風に合ったそれぞれの凧が広い砂浜を賑やかにしていました。

 

凧友のにしさんが空撮された写真を持ってきてくださいました。

     


 

開会式が終わると子供凧揚げが始まり私は金沢市の学童保育が震災復興の願いを込めて作った100枚の連凧揚げのお手伝いをしました。

 

連凧同士が空中でお祭りになるのを回避しなければならないと思うのだけど一体どれたけの連凧が揚がるか分からないので風向きを確かめてエリアの遠くに場所を決め移動しました。

 

父兄と学童30人ほどが100枚を風に乗せました。

         


              

 

石川テレビや中日新聞の取材を受け学童たちの元気な声が響きました。

 

夫は同じ学童保育が作った一畳凧を揚げるのを手伝いましたが結局風が足りず揚がっても止まらないくて 揚げては落ち 落ちては揚げを何度も繰り返した後に瞬間の良い風をキャッチしピタッと止り揚げた父兄たちに安ど感が。

 

その後は子供の好きなドラえもんやクジラの大きな凧がユラユラと気持ち良さそうに揺れている間を縫って『婦くら雀』を揚げ

揚げ糸に傘を付けてビラまきを試みましたが風が足りず苦労しましたが頑張って10回くらいビラをまきましたが昼食を食べてからにしようと言うことでテントに。
       

     
風が気になり食べながらも会場の吹き流しに目が行き『婦くら雀』は諦めて 午後からは『すずめの学校』に路線を変更。

 

海寄りに場所を決めいつものように私が先頭凧を持って歩き 夫の合図で私が持っていた先頭凧を放すと100枚が一気にがっていきました。
         

 

↓の写真は内灘のスポーツカイトクラブ『水天狗』のYさんが撮影して下さった私たちの写真です。

    
          

 

いつものようにギャラリーが集まって来て「何枚あるのですか?」とか「どんな紙を使っているのですか?」とかの質問づめ。

 

驚いたのは「この連凧はいくらするんですか?」と聞かれ既製品ではなく全部二人で作ったと言ったら驚いていた人もいて1時間弱だったけど連凧には申し分のない良い風と沢山のギャラリーとの出会いがありました。 

その他にも何人かのアマチュアカメラマンの人が私たちが着ている半被が珍しいらしく後ろ姿を撮らせてほしいとの注文に苦笑しながらもOK。

 

出来上がった写真を送ってもらう約束をしたので楽しみだわ。


 

 

 

 

 

 

 

| 内灘 | comments(0) | - | すずめ |
もう忘れられたんでしょうか・・・・
3.11の東日本大震災。

仙台凧の会の呼び掛けで毎年3月11日の近い日に慰霊と復興を願う凧揚げをしましょうとの呼びかけで私たちも賛同して色々形を変えて凧揚げをしてきました。

それだけではなくて参加する各地の大会では必ず会場の人たちに↓の凧を揚げてアピールをしてきました。

もちろん先日の内灘でも風が足りなくて揚がりきらないのを必死で・・・・

          

全長が7メーターもあるのである程度の風がないと垂れ幕に書いてあるメッセージが読めないのですが何とか落ち着いて揚がってくれました。

私たちはテレビや新聞の取材を目的に凧を揚げたことは一度たりとも有りません。

でも今回はこの凧が揚がっているのを石〇テレビの取材クルーは振り返って見ながら通り過ぎて行った後姿を見て身が凍るほどの冷たさを感じました。

一年を通して いや毎年3月11日前後のテレビや新聞で復興の様子などを伝えているにも拘らずですよ・・・・・

確かに後日放送される番組の為の取材が沢山あったとは思うのですがあの時のクルーの通り過ぎ方をみて本当に失望しました。

私は取材されなかったことをどうこう言う気持ちは一切ありませんが振り返って見上げながら通り過ぎる姿に憤りさえ感じました。

ある大会に行った時にギャラリーの中に被災された方がいらしてとても感激してこの凧を見ておられたのを思い出し悲しくもありました。


その後で連凧の「すずめの学校」を揚げたのですがその時には沢山のギャラリーが見て質問したり 揚げ糸の引きを体験して感激してくれたりしていましたがいつものような気持で連凧を楽しんだわけではありませんでした。

あの震災から3年しか経っていない。

テレビや新聞で見る被災地は真新しい建物が建っている所をアピールするかのような物が多く まだまだ復興とは程遠い所も沢山あるとブログ友達が苦しい思いを書いていました。

取材クルーだけではなくて私たちの関心も風化して薄らいできているのか・・・・・

何かをしろと言うのではなく いつ自分の身にあのようなことが起きるかもわからない事なので今日を幸せに暮らせることに感謝をし忘れないで行こうと言うことだと思います。


 
| 内灘 | comments(0) | - | すずめ |