あの日
私は元石原東京都知事が次期選挙に立候補するか否かの記者会見が行われるというのでテレビを観ていた時に緊急放送が入り東北地方で大地震が起きたことを知りました。
目を覆うような真っ黒な津波に家や人々が飲み込まれていく様を食い入るように手を合わせて観ていたことが昨日のことのように思い出されます。
最近ではメディアで取上げられる事もグッと少なくなり人々の記憶から忘れ去られたような気がするのですが・・・・
でもいまだに復興の兆しがはかばかしくないと被災者からの声を聴くと手を差し伸べることは限られていますが せめて被災地へ心を寄せることを忘れてはならないと翌年から始まった凧・絆プロジェクトに賛同し凧揚げを今年も行いました。
この時期の北陸はとてもじゃないけど凧揚げができるようなお天気ではなく中止したり延期したりしていたのですが 天気予報とにらめっこをし今年は一日前倒しで10日の午前中に徳光海岸で行いました。
幸いにも晴れてはいたのですがやはり強風で 連凧の高度はイマイチ。
同時に揚げていたメッセージ凧は1メーターほど下の水溜りに落下しやっと引き上げましたが砂まみれになり破れてしまい 見る影もなく家に帰ってきれいに洗い乾かしましたが一部を残して再起不能。
地元新聞社の取材申し込みがあり記者が来て写真を撮ってくれましたが連凧のラインが持っている手に食い込んで痛いこと 痛いこと。
でもこれくらいの苦痛は被災された方々にはお恥ずかしくて言えるようなことではありませんがお一人でも多くの方が少しでも復興の幸せを感じられるように祈ってやみません。