軽い凧を作りました。
天気予報では
5~6メーターの風とのことだったので
「折角風がなくても揚がる凧を作ったのだから風は要らないよね」と。
でも折角完成したのだから揚げに行こうということで
いつも行く海辺の公園へ行きました。
車を降りるなり揚げる気満々の夫の足取りが軽い!
収納袋から凧を取り出して
組み立てて
揚げ糸を伸ばして”ハイ♪”と私に渡しました。
うぅ〜ん
やっぱり風が結構あるので
凧が前方ではなくて真っ直ぐ頭の上で揚がっている。
怖いなぁ〜
失速したら私の頭を直撃だわ・・・と思いながらも
風がなくても揚がる凧を作ったつもりが強風にも耐える凧でした。
私が揚げている「婦くらすずめ」をチラッチラッと見ながら
夫はドラえもん・アンパンマン・ピカチューの凧を揚げていましたが
凧と風との相性が悪くてなかなか止まってくれないので写真が撮れない
やっと止まったけどピンボケ
今日は仮揚げの予定で来たのだけど
芝を刈る大きな芝刈り機が園内を右往左往するので危なくて
ゆっくり凧を揚げたり写真を撮ったり
揚がり具合を調整したりすることができず
30分ほどで退散しました。
通路を隔てた隣の公園では
グランドゴルフを楽しむ人で賑わっていました。
私たちが行った時は芝刈りをしていなかったのに
途中から作業が始まった。
まるで人が来る時間に合わせたようで全く気分が悪い
芝の整備は大切だとは思うけど
朝早くもしくは夕方の人が少ない時間帯でやって欲しいと思いました。
凧は揚げ手の精神状態を感じ取っている・・・・
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本当に久しぶりの凧のリーダー研修を行いました。
この公民館は4つの町内会が集まった公民館です。
最初は公民館活動として子供たちに凧の作り方講習会を行っていましたが
ある時から地区ごとに凧を作りたいとのことで
各地域のリーダにのみ凧作りを教えることになりました。
ところが何回目かの時に凧キットの供給だけの要望がありました
材料だけを供給しリーダーが指導する方法は(この公民館に限り)
制作過程に不安もあると思っているので
それ以降は凧作り講習を断ってきました。
しかし今回凧材料の在庫が多くあり終活で処分するため
土佐凧の材料を使ってもらうため
以前から交流のあったここの公民館で使ってもらうことにしました。
公民館では館長を含め3名に加え
山の方の公民館から2名の方が凧作りのリーダの5人の講習会でした。
山の方の公民館の2名のリーダーさんが
後日地区の子供たちに教えるそうです。
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小雨が降る天候で悪コンディションの中での凧揚げでした。
開会式は本部前でこれまで見たことがない平面での開会式。
参加者が少ない割には国会議員さん関連の来賓が多く少々うんざり。
来賓の中で前内灘町長の岩本英雄さんのお話で
内灘町で大きな大会に導き尽力されたことを知っている私には
特に胸に響き頷きながら聞かせていただきました。
開会式が終わり岩本さんに直接ご挨拶に伺い
今年90歳になられたことをお聞きし
県内外に内灘の凧の大会を広めて下さったお礼を言って
益々お元気で・・・・とお話しさせていただきました。
その後自由凧揚げになり風も弱かったので
東日本大震災の”凧・絆凧プロジェクト”の慰霊の連凧を揚げることにしました。
2011年の大震災から毎年10枚ずつ連凧を繋ぎ
2021年の10年目で110枚となりました。
この慰霊の連凧を
”青森県”、”岩手県”、”宮城県”、”福島県”の津波被害にあわれた海岸で
慰霊の凧揚げをする目的で連凧を繋いできたのですが
昨年はコロナが終息せず今年こそはと思っていたのですが
家族から高齢で長距離の運転を止められあえなく断念しました。
なので今回 内灘でこの連凧を揚げて解体するつもりで揚げました。
連凧も風が無くなり降下したので降納しましたが
生憎小さい雨も降る中に揚げたので凧が砂まみれとなりました。
連凧の後にはリップストップ製の六角を揚げました。
この凧は軽くグングン上昇し100m位は糸が出ていたと思いますが
令和になって作った凧で令和と描いてあります。
製作中の令和の凧(2019年6月21日)
完成した令和の凧(2019年6月25日)
風も弱くなり降しましたが
リップストップは雨で濡れていましたがタオルで拭くとすぐに乾きました。
あいにくの天候で和紙で作った凧を揚げることができず
参加者は一度も揚げられず
雨と冷気で昼食を食べずに帰宅する参加者も出てきました。
12時半から12畳の大凧チャレンジをするので観戦し
揚がったのを見て帰宅しました。
30年以上凧を作っているのに今もタイペックなので裏は真っ白で残念!
帰宅後 連凧をサンルームで竿にかけて乾燥させましたので
お天気の良い日に砂を払い連凧を解体する予定です。
いつ降り出してもおかしくないような重い色。
7時半過ぎに家を出てすぐにポツポツと雨粒が車の窓に当たり
嫌だなぁ・・・・と思いながら会場に着くとこれまでになくひっそりとしていて
例年なら会場に入ってすぐに駐車券の確認をしていたのに今回はフリーパス。
コロナ禍で3年間も中止していた大会なので
かなりの参加者があると思っていたのに期待を裏切られました。
テントの中にはブルーシートが敷かれていたけど
開店休業状態で県外からの参加者も少なくひっそりと静まり返っていました。
会場の設営もこれまでとは格段に経費削減したのが見て取れました。
イベントステージカーがいなくて大会本部前での開会式になりました。
会場内に鳴り響いていたBGMも最低音量なので
参加者同士の会話にも不便がなくそれはそれで良かったのですが
やはり活気がないような設営に少し物足りなさを感じました。
主催者の 石川テレビの経費削減か?
テレビ撮影用のリフト車が設置されていませんでした。
スポーツカイトの大会が無くなり
子供たちの自由凧揚げ会場となっていたのは危険回避で良いと思いましたが
国内の大会で見られないような大きな珍しい凧を揚げてくれる外国からの
招待者がいないだけではなく日本の凧の会本部から誰も来ていないので
すごく寂しくコロナ禍が影響した結果かな?と思いました。
ただ参加者が少なく凧揚げエリアが広いのと
砂浜が海側に拡大していることとで凧揚げ会場が広くなり
凧揚げがしやすくなったのは揚げる側としては良かったですが
やはり活気のなさは否めませんでした。
県内外からの参加者の減少 は
やはりコロナ禍が影響しているのかな?とも思いましたが
来年からはこれまでの活気を少し取り戻した大会になって欲しいと思いました。
凧揚げの模様は次の記事で・・・・
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お正月の凧を番組内で紹介したいと電話があり
今日の午前中にNHK金沢放送局へ
干支のウサギの凧と
バラモン凧を持って行きました。
ウサギの凧を手に取るなり女性アナウンサーは
「あぁ〜〜可愛い〜〜」と絶句。
「夕方の番組”かがのとイブニング”の
”ことじろう写真館”の今月のテーマが
『#かわいい〜』なのでぴったりだわ〜〜」と感激。
そして放送が始まり
男性アナウンサーが
「わぁ〜大きいんですねぇ〜」
「よく飛びそうな感じが
ヒシヒシと伝わってきますね〜」
長崎県出身の男性アナウンサーは
バラモン凧を初めて見たらしく感激していました。
女性アナウンサーが
「新作の凧もあるんですよ〜」
「親子で可愛いですねぇ〜〜」と紹介してくれました。
「凧が飛ぶ」という言い方をしているのを聞くと
「揚がった」と言ってほしいなぁ・・・・といつも思っています
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「ことじろう写真館」の今月のテーマが”舞いあがれ!”でした。
NHKのドラマ”舞いあがれ”にちなんで・・・・
ジャストタイミングでバラモン凧が完成したので
写真を投稿しました。
放送の少し前に女性キャスターから電話があり
「こんな凧を初めてみました」(写真なのに・・・)
色々話をしていく中で「凧を実際に見てみたい」と言われ
29日にバラモン凧を持って金沢放送局へ行ってきました。
凧の表と裏を見ながら目を丸くして
何度も何度も頷きながら凧を手に
「はぁ…」とか「そうなんですか・・・」と興奮しているようで
放送の時は落ち着いている彼女の他の一面を見た感じがしました。
放送ではアナウンサーは長崎県の出身で
自分は長崎市内なので五島は知らないけど
こんな凧があるなんてビックリと言っていました。
女性キャスターは
アナウンサーがお昼のニュースの担当で
今スタジオに入っているので残念だと言われ
また要望があればお持ちしますと言って帰って来ました。
そして30日
女性キャスターから
昨日行った時に”来年の干支のウサギを描いた凧がある”と
言っていたのでそれを覚えていて12月の最後の放送の
「ことじろう写真館」で紹介したいので貸してほしいと電話がありました。
ここ数年は簡易な干支凧を作っているのだけど
折角紹介してくれるのなら
以前作っていた一回り大きなのを作ろうと思いました。
それが↓
骨組みは↓
12月23日に金沢放送局へ持って行きます。
追記
番組の都合で今年の放送にはならなくて
来年の初めに放送したいと連絡がありました。
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前回はポスターカラーで彩色したのですが今回は染料を使用していたので マジックで滲みを止めたとはいえ隣の色に染み出して色がぶちになったりして最悪でした。
かなり落ち込みましたが何とかカモフラージュして染料入れは終了しました。
滲みの原因は色をぼかすために水が多かったのが原因だと分かっているのですが薄い色を出すには水で薄めるより方法がない。
ポスターカラーは滲まないから安心できましたがやはり色の鮮やかさを求めるなら染料だと思った結果なので少し勉強不足だったかもと反省しました。
夫はウナリの竹を削りテープを貼って音色を確かめていましたが思っている音色にならないと言って何度もテープを変えて試作していましたがウナリは奥が深いとつぶやいていました。
反り糸や糸目糸や凧に付ける房などの小物も準備でき明日以降の作業になります。
線画を描いた和紙を裏にして骨組みを置き 骨組みの外形より糊しろの折り返し分を見たところで印をして切り取っていきました。
糊しろ分の所1?で切り込みを入れボンドを付けて骨組みを巻き込むように貼り付け完成しました。
この時点で和紙が弛んでいる所は染料を入れるとパンと張るので染料に期待して・・・・
今回は塗りむらが無いように染料で色付けをしますがマジックで滲みを止めていますがやはり心配です。
薄い色からということで黄色の染料から色を入れ 青色 黒色の一部の色を入れて今日は終わりました。
明日は骨組みが完成したのでバラモン凧絵の下書きを和紙に写す作業が出来るということでこの作業は私です。
午前中に糸目の糸をつけたりする作業をしました。
今年はぐっと枚数が少なく4枚だけ
久しぶりに糸を手にしたので
手に糸がなかなか馴染んでくれなくて
何度も縛り直しをしやっと仕上がりました。
そういえば先日ばらもん凧を作った時も
一度では上手く縛れなくて縛り直しをしていました。
手作業は暫くしないと勘が鈍るんだということを
実感しました。
ちなみに↓は12年前のウサギ凧
ウサギは見たこともあり
我が家ではペットとして飼っていたこともあるから
絵は描きやすいけど龍みたいに実在しない動物は
想像ができなくて泣きながら描いたことを思い出しました。
もう描くことはないだろうけど・・・・
]]>”かがのとイブニング”の”ことじろう写真館”のコーナーに
投稿したのが番組内で紹介されました。
朝の番組”舞いあがれ!”にちなんで
”舞いあがれ!”がテーマでした。
揚がっている動画を送りたかったのですが
バラモン凧があまりに小さかったので写真を送りました。
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来年はウサギ年なので
数日前から和紙・骨組みの竹の準備と同時進行で
ウサギの絵を描いていたのですやっと仕上がり
彩色まで終わり乾かしている所です。
可愛いウサギの親子
明日はこれらに糸をつけて仕上がる予定です。
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昨年2月に亡くなった凧友のお宅へ行ってきました。
お宅には10年ほど前にも一度来たことがあるんだけど
やはり周りは年月の経過を感じさせ
浦島太郎状態でした。
家に入りお仏壇に手を合わせ遺影に
「早すぎるよ〜」と言うとあの世から凧友が微笑んで
”久しぶりやなぁ”と言って笑っているような気がしました。
私たちと同じでご夫婦で全国各地の凧揚げに参加されていたので
会うといつも「こんなのを作ったんですよ」と話しかけてもらったのが
つい最近のように思います。
お元気なころに作られた凧が
部屋・廊下・階段の各所に飾られ二階の主のいない作業部屋には
沢山の材料が置かれていて
「こんなに沢山ある材料をどうしたら良いかと毎日そればかり考えています」と
奥さんが言っておられました。
奥さんは10年ほど前から日本画を習っておられて
自分が先に逝くことばかり考えていて
ご主人が凧を作るのに絵がないと困るだろうからと
ご自分が描いた絵を貯めておられたそうです。
話を聞くたびに3人で
「やっぱり早すぎるよね まだまだ元気で凧を作って欲しかったね」と
何度言いあった事か・・・・
2時間ほどで「お互いに元気なら機会を作って遊びに来ます」というと
「誰もいないので泊って行って」と言われ
名残惜しかったけどお暇してきました。
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気温は20度に届きませんでしたが空が青く太陽がまぶしく感じました。
朝のうちは風も弱かったのですが
AM10時を過ぎると良い風が吹いているようなので
早速昨日のリベンジに松任海浜公園の芝生広場で
ばらもん凧の試し揚げをしました。
風が強いと空で停止するのですが
弱くなると下降してくるのでなかなかスマホで写真が撮れません。
風も2~4m/sくらいで風は安定していませんが
時折吹く強い風に尻尾をジュート紐6m+2mで揚げると
凧は風を受けて飛揚しました。
何度か凧をホッピングしながら
揚げ糸を少しづつ伸ばしていくと
上空の強い風をとらえてやっと安定しました。
凧に取り付けた唸りの枕の角度が悪いのか
音が出ないので作り直すそうです
今日は試し揚げとしては上出来でしたが
今度はもう少し強風で安定している時に揚げたいと思いました。