すずめの今昔
加賀百万石の前田家の所蔵品を保存・管理している成巽閣(せいそんかく)で江戸時代末期・元禄年間に『婦くらすずめ』と言う凧が揚がっていたと書かれた古い文献に出会い それを基に再現しました。

(成巽閣 http://www.seisonkaku.com/)
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20年くらい前の事・・・
行きつけの玩具屋さんで主人が凧を数枚貰って来た。
三角形のゲイラカイトとボックスカイトであった。

その事で長い間忘れていた凧の思いに火がついた私は ある日 気乗りのしない長男・長女を誘って少し離れた公園へ凧揚げに行った。
ボックスカイトは組み立てに時間がかかると言う事で ゲイラカイトを揚げる事にした。

5歳と4歳の長男・長女はコートの襟や袖を引っ張って寒風に耐えていた。私はと言うと寒さなんてものともせず凧揚げにノリノリ。
子供はそのまま何も言わずにいてくれるだけで良かった。
 
凧に揚げ糸を繋ぎ 風に背を向けた。
何もしなくても 風が凧を引っ張って行った。
なに?何?と思うや否や 揚げ糸が無くなるくらい気持ちよく出て行った。
糸の巻き終わりをしっかり糸巻きに縛り付けた。

風向きが変わらない事だけを祈りながら糸の先をじっと見つめていた。
子供の頃にこの感触を体感したかったのだ。
大して大きな凧ではなかったが 初めての凧揚げに私一人が酔っていた。
後になって知る事になるがゲイラカイトは比較的に揚げやすい凧だと分かったが そんな事を知らない私は 手に伝わる糸の振動や凧の動きに釘付け。

暫くして長男が私を呼ぶ声で 子供そっち抜けの自分に気が付いた。

「僕にも持たせてよ!」と口先を尖らせていた。

「ゴメンネ」と見ると寒さで目の縁や手が赤くなっていた。
私は急いで凧の高度を下げる為に糸を巻いた。
そして3人で一枚の凧を持つ事にした。

すると長男は「一人で揚げたい!」と言うので 私は長女の手を温めながら傍で見る事にした。
やはり男の子だ。
風に誘われて先ほど巻いた糸を又も出して行く姿は 凧揚げ名人顔負けであった。

寒いと言う長女を抱き 尚も息子の勇士に見とれていたその時
「あ??っ!」と言う声で手元を見ると 息子の手には糸巻きがない。

さっきまで揚げていた凧が 大きな道路を越えた向かい側の工場の屋根に引っかかりそれでも風に吹かれ揚がっているのが見えた。

いきなり吹いてきた風に かじかんだ手が対応できなかったと言う。

「取りに行って来て!」と泣く長男をなだめて帰る事にした。
諦めきれない長男は「梯子を借りて登って取る」と泣く。
なだめながらの帰り道は何倍も遠かった。

可愛かったね。あの頃の長男・長女は・・・
今は父親・母親になっている。
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初めての凧デビュー
私が未だ10歳くらいの頃だった。

当時は男の子でも凧を買って貰える子は少なく10人中 買って貰える子供は2?3人くらいだったと思う。
今のようにアニメのキャラクターの凧なんて 作りもしなければ売ってもいない時代だった。

女の子ばかりの家に育った私は 凧には無縁の子であった筈がお転婆だった為に凧に興味を持ってしまった。

家の近くの麦畑で凧に興じる男の子の集団に凧を揚げさせて欲しいと頼んだら簡単にOKしてくれ仲間に入れてもらったと喜んでいた。

しかしいつまで経っても糸を持たせては貰えず 走るまで凧を持っている役目。

遊んでいる子供達は凧の構造など知っている子はなく
勿論 糸目や尻尾の長さなどは全く分からず揚げ方も自己流。

揚がるとはほど遠く走っている何秒間は浮いている感じだった。

遊ぶ場所と言えば刈り入れの終わった田んぼか麦畑。

ある日 麦畑の主が血相を変えて怒鳴って来たので一緒にいた男の子たちは一目散に何処かへ逃げた。

意味の分からない私は捕まってしまった。

畑を踏み荒らしたので怒っている事がやっと分かった私に
かなりの剣幕で逃げた子供たちの名前を教えろと言われた。

当然 私の名前も聞かれたが凧を持っていただけだと言うと 逃げた子らの名前を教える事で何とか免れた。

凧を揚げさせて貰えなかった不満で 一気に私の口から彼らの名前が出てきた。
恨みとは怖いもので 私は彼らの家まで親切に案内までしてあげた。

そしてその家の前で畑の主が親に苦情を言っているのを聞いていた。
それ以来私の周りには凧揚げの風景は見られなくなった。

町に数件ある駄菓子屋の店先で 買い手を待っていた凧の種類は
「奴凧」と龍と書かれた「角凧」だった事を覚えている。

果たして当時は幾らくらいの金額で売られていたものなのか 見当も付かない時代の事である。

糸目の糸も短く 尻尾の紙も短かく
その尻尾に新聞紙を切って貼り付け長くして走っていた。

今ならノウハウが分かるがその頃の私には全く分からない凧との出会いであった。

奴凧も角凧もクルクルと風車のように良く回っていたなぁ。

風が何時も吹いていたのに 誰もが長い糸を出し背中に風車のように回る凧を担いで走っていた。

今なら絶対走らない

あ?ぁ 
でも あの時は糸を持たせて欲しかったなぁ。
走り回りたかったなぁ・・・
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さて これから書いていくものは・・・
すずめが初めて凧と出会った時から今日までの事を 
賞味期限の切れかかった頭で 少しずつ思い出しながら
綴って行きたいと思います。

賞味期限?
とっくに切れてしまっているのではないかと言われる時もあるのですが 
やはり自分自身では思いたくありませんね・・・ 
せめて 切れかかっていると思いたい・・・
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すずめの今昔 オープン
すずめの今昔 がオープンしました
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