すずめの今昔
加賀百万石の前田家の所蔵品を保存・管理している成巽閣(せいそんかく)で江戸時代末期・元禄年間に『婦くらすずめ』と言う凧が揚がっていたと書かれた古い文献に出会い それを基に再現しました。

(成巽閣 http://www.seisonkaku.com/)
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『百万凧まつりin美唄』 (サヨナラ 美唄!)
「揚がった??バンザイ!バンザ?イ!」の歓声が止まない中
まるで布団を掛けたようにフンワリと凧は滑走路の真ん中に行儀よく着地した。

ゆっくりと着地したので竹やその他の何処にも破損箇所がなく
木っ端微塵になることもなく揚げた時のまま。

滑走路なので走るには足場が良いけど 強風を受けバランスを崩した凧が落下したらそれこそ木っ端微塵になることだろう。

周囲のあちこちから「もう一度みたい。揚げて下さい!」と言う声が聞こえてくる。

すると「間もなくもう一度揚げます」という放送が掛かった。

引き綱を持ちスタンバイしている人たちの顔は 一度目の経験から自信に満ちていた。

「一分一秒でも長く揚げて見てもらおう・・・・」の思いだったんだろう。

「走れ??」の号令で一斉に走り出す。
凧の高度が上がるごとに順番に綱を放す。

思ったほどの風が期待できず 自分の手元に綱を伝わってくる凧の重さを実感することは出来なかったと思うがどの顔にも充実感がみなぎっていた。

美唄の地でお手伝いできて 素晴らしい感動を味わう事が出来た。

リーダーシップを取って作業をされていた旭川凧の会の皆様には
此方からの差し出がましい申し出に迷惑そうな顔もせず 快く受け入れていただきました。
本当に感謝しております。
お話させていただいた中で 白○の大凧の師匠から指導を受けられたと言う事が分かり主人も同じ師匠の教えで 今日まで多くの凧に携わって来れたと言う事に不思議なご縁を感じました。

帰る間際には美唄の凧の会の方が わざわざ本部テントまで連れて行ってくださり大会関係者のお偉い方に紹介された時は
「一寸ヘルプしたくらいで・・・」という思いが強く 身に余る光栄で握手する手が震えました。

事情を知らないであろうギャラリーの人からも「有難う!有難う!」と言われこそばゆい感じもしました。

また「今夜は美味しいお酒を・・・」とお誘い頂きましたが どうしても次なる地へ向かわなければならないので
「次回どこかで再会しましょう」と固い握手で約束し美唄を後にしました。

さて次の地は剣淵町だ。

車の窓を開けると衆議院選挙のお願いコールが田園地帯の匂いとともに入ってきた。
| 北海道・美唄 | comments(0) | trackbacks(0) | |
『百万凧まつりin美唄』 (20畳の大凧)
早めの昼食弁当を食べる箸を噛みながら 風を呼ぶ声がテントの中を飛び交っている。

手作り凧の審査も行われているが 凧を担いだ運動会の様にも見受けられ
凧談義をしながらも手持ち無沙汰な面々である。

本部テント前には絵を描いて竹を張っただけで
糸も付いていなければ 増して糸目調整もしてない20畳の大凧が展示されていた。

毎年 地元の人が凧を作るが 当日に他所の凧の会も手伝って糸目の調整をし揚げているらしい。
今までも当日参加した人たちで協力して糸目調整をして揚げるというのは経験しているが此処もそうだった。

「この凧は一度揚げて落ちると 凧の原型を留めない位に木っ端微塵になります。今のうちに凧と一緒に記念撮影をしては如何ですか?」
笑えてしまうほどの凄い宣伝で司会者が放送していた。

やがて展示してある凧を広げ糸目をつける作業が始まった。

「凧は揚ってナンボ。糸目の取り方なんて幾通りもある」
遠巻きに二人で様子を見ていたが この凧の為に急遽刈り出された人達が殆んどだと実感させるものがあった。

中心になっている人に
「白○の方法で糸目を取るんですね。私が手伝いましょうか?」
「そうですか・・・助かります・・・」と主人のヘルプを快く受けてくれた。

作業が進んで行くにつれ人手が多く必要になり 近くでただ見ていた私は
旅行に必要なカードや現金が入ったカバンを近くの人に預け手伝いをする事にした。

私の事を「誰?」と言う視線も背中に感じたが 何時も主人の手元をしているので作業の手順が分かり次から次へと段取りをした。

全ての作業を追えたのは始まってから1時間半くらい経った頃であった。

「風がありませんが 今から走って揚げます」と放送が掛かると
あちこちから黒山の様に人が集まってきた。

沢山のカメラマンがシャッターチャンスを待っている。

「危険ですからもっと先の方へ行った方が凧全体が撮れますよ!」といつの間にか観客やカメラマンの誘導係になっていた私達。

朝から何度も何度も聴いた放送を思い出したが「絶対揚る!」
そんな信念を持ち静かにその時を待った。

 
秋の雲が広がる空に 黄色のバックに赤と黒で書かれた20畳の凧が
微風を受け ゆっくり・ゆらゆらと高度を増して行った。

「びばい百万凧まつり」と描かれた凧の飛翔である。

(文字数制限で次ページへ続きます)
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『百万凧まつりin美唄』に参加 (9月4日 午前中)
美唄の凧揚げ会場へ到着したのは8時少し前だった。

駐車場と思われる場所に車を止め 係りの人を待っていた。
30分ほどするとイヴェント用のジャケットを着た人たちが集まって来た。

凧揚げ参加者の駐車場はかなり離れた所だと指示され場所の移動を告げられた。

凧揚げ会場は『美唄市農道離着陸場』の滑走路。
国土交通省が作ったのは飛行場と言うが 農水省が作ったので飛行場と言わず『農道離着陸場』と言うそうだ。

この時期の北海道は農作物の収穫の時期で 物産市やそこに来た人たちのスペースがはるかに広く便宜を図っているようだった。

凧の会の人影が見えないので 丁度連凧に合いそうな風が吹いていたので
持参した100枚を揚げることにした。
風が良かったのでモノの数分で揚げきった。
こんなのなら300枚を持って来れば良かったと思ったのは私だけではなかった。

滑走路の真ん中辺りに凧の会の『幟(のぼり)』を見つけた。
そして車が何台も駐車しているのも見えた。
どう考えても駐車している所からそこまで荷物を持って移動するには遠すぎる。
かと言って 此処まで来て今の場所で二人で凧を揚げて帰るには悲しすぎる。
そんな事を考えながら500mくらい離れているが私は歩いてそこまで聞きに行く事にした。

「此処が凧揚げ大会の本部です。早く此方へ車を移動させたら良いですよ」
それを聞き 私は歩きながら携帯で電話で主人にそのように伝えた。

私が戻った時には 移動する為に先ほどまで揚げていた連凧を半分くらい回収していたが大急ぎで私も手伝い回収を終え めったにこんな経験は出来ないと思いながら本部近くまで滑走路を車で移動した。

美唄近辺の会員さんとは面識がないが 長崎県や愛媛県から参加された凧友に声をかけられ心なしかホッとした。

開会式の少し前から 早朝に吹いていた風が急に止み空を仰ぐ姿があった。

滑走路で場所が広いので人が疎らなのか 参加者が少ないのかテントの中はひっそりとしている。
でも地元の美唄そして旭川・札幌からの会員さんと名刺交換もさせていただき微風だけど爽やかな秋の風を感じながら凧談義も弾んだ。

「この様にこじんまりとマイナーな凧揚げ大会も良いものだなぁ」と認識したひと時でもあった。

持参した凧は完全に大空に張りつく様な揚がりではなかったが午後から意外な事があった。

                            続く
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